アンブロシア〜序章〜



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 太古の昔、かつて地上にはメトゥスと呼ばれる種族がいた。姿は人間とよく似ていたが、彼らは人間よりも遙かに長い寿命、そして強い魔力を持ち、一部には奇跡と呼べる現象を起こせる者さえ存在した。やがてメトゥスは地上から去り、別の世界へと移り住んだが、メトゥスの間で主張の対立が起こった。法と秩序を重んじる者たち、力と自由を望む者たちの二つに分かれ、熾烈な戦いを始めた。その余波は地上にも大きな影響を及ぼし、人智を越えた力を操り、時に天変地異をも引き起こしたメトゥスを、地上に住む古代の人々は畏怖の念を込めて「天使」や「悪魔」などと呼び、やがてそれらは神話や伝説として語られていくこととなった。




「あーあ、つまんねえな」

 木製の椅子に腰掛け、ブーツを履いたままの両脚をテーブルの上に投げ出し、彼は赤毛の前髪を指先で弄りながら不機嫌な顔を隠そうともせずに呟いた。彼――シュート・アンブロシアは、引き締まった体格に鋭い目つきを持つ若い男で、真っ赤なターバンと黒いシャツ、茶色のズボンを履き、肩からターバンとお揃いの赤いショールを羽織っている。アクセサリーに逆十字のネックレスと一対の半円型イヤリングを身に付け、それらは時折ランプの光を反射して、キラキラと光を放っていた。シュートは力と自由を望む「魔族」に属するメトゥスの一人で、十人ほどの部下を引き連れた盗賊の首領として、魔界各地を移動しながら暴れ回っていた。狙った獲物は決して逃がさず、刃向かう者に容赦はしない。『紅の盗賊』シュートと言えば、魔界の者達からも恐れられ、一目置かれる存在であった。
 今回、魔界でも有数の都市『ハンニバル』に狙いを定めた彼らは、都市の郊外に程近い森の中に、おそらくかつては狩猟の際の山小屋にでも利用されていたのであろう廃屋を見つけると、そこを拠点に数度にわたって盗みを繰り返していた。木造の古びた仮の根城には、奪ってきたばかりの戦利品が山のように積まれている。金銀の財宝や宝石、美しい織物――そしてテーブルの上には、新鮮な食料や飲みきれないほどの酒が所狭しと並べられ、彼の手下達がそれらを夢中で口に運んでいる。しかしシュートは、今回もまた大成功となった成果を見つめながらも、何故かとても不機嫌な表情を浮かべていた。

「どうしたんだよお頭、浮かない顔しちまってさ。これだけのお宝があれば、当分は面白おかしく暮らせるんだぜ?」

 大きなテーブルの向こうで、ワインをラッパ飲みしていた手下の一人がそう言った。シュートは手下を睨み付けると、テーブルに置かれていたナイフをいきなり投げつけた。ナイフはワインの瓶を貫いて粉々にすると、そのまま壁に突き刺さった。

「なっ、なにすんだ、危ねえだろッ!?」

 飛び散ったワインで濡れた顔を手で拭いながら立ち上がり、シュートを睨み付けたが、逆に睨み返されて言葉を詰まらせる。

「最近じゃあ俺の名前も売れちまって、シュート・アンブロシアって名前を聞いただけで、ビビった相手が自分からお宝を差し出してきやがる。こんなんじゃ面白くもなんともねえんだよ」

 シュートの言葉に、部下達は全員が困ったように顔を見合わせる。

「あーあ。有名になるのも考えモンだな。もっと刺激が欲しいぜ」

 しばらくして、部下の一人が思い出したように顔を上げ、ポンと手を叩いて言った。

「そうだ、お頭」
「どうした? 何か思いついたのか?」
「それならバアルの城に忍び込むってのはどうだ?」

 バアルという名前を聞いた途端、その場にいた全員が、口にしていた食べ物やワインを一気に吹き出し、口を揃えて叫んだ。

「おいおいおい!」
「お前、頭大丈夫か?」
「バ、バアルっておい、正気とは思えねぇぞ」

 この魔界において、バアルの名を知らぬ者はいない。魔界を統治する最高権力者の一柱たる大物中の大物であり、このハンニバルをはじめ、いくつもの大都市を統べる存在である。各都市にはそれぞれの支配者がおり、彼らは貴族と呼ばれる支配階級であり、各々が支配する都市の法を独自に決めている。要するに強い者は自分の支配が及ぶ地域の中ではやりたい放題であり、魔界には全ての都市に共通した法などはないのである。
 また、魔界においては『力』こそが絶対であり、高い地位にいる者は、すなわちそれに見合った実力の持ち主である。中でもバアルは、そうした魔界の貴族階級の中にあって、最高指導者ルシフェルに並ぶほどの力を持つとも言われているのだ。そのバアルの居城に忍び込もうなどというのは、考えることさえも愚かしい、まさに自殺行為である。バアルの居城はハンニバルの中心にあり、小高い山の上で街全体を見下ろすようにそびえ立っていた。

「確かにこの都市を統治しているのはバアルだ。城があるのもわかっちゃいるが、奴の寝床をつついてタダで済むとは思えねえぜ」
「ところがそうでもないんだな、これが」

 手柄顔で部下が続ける。

「昼に街でちょいと小耳に挟んだんだけどよ、なんでも近いうちにお偉方連中の会議があるとかで、しばらくバアルの奴が城を留守にするらしい。その時が絶好のチャンスだ。あのバアルの城なんだ、きっとすげえお宝があるに違いないぜ」

 ニヤリと笑みを浮かべる手下に対し、シュートも不敵に笑い返す。

「なるほど、そいつは面白れぇ。バアルの奴がいないなら、いくらでもやりようはある」
「だろ? 上手く行けば俺たちの名も一気に上がって、貴族の仲間入りだって夢じゃないかもしれねえぜ?」
「へっ、気の早い野郎だ。確かに実入りはデカいが、しくじれば身の破滅だ。テメーらその覚悟は出来てんだろうな」

 シュートが仲間たちの顔を見回すと、全員がニッと口の端を釣り上げて笑みを浮かべ、声を揃えてこう言った。

「死ぬのが怖くて盗賊稼業が務まるかってんだ!」

 シュートは満足げに頷くと、手近にあったワインの瓶を手に取り、歯でコルクの栓を抜いて高く掲げた。

「決まりだな。次の獲物はバアルのお宝だ! そんじゃ景気づけにパーッとやろうぜ!」

 機嫌を良くしたシュートは、部下達と一緒になって次々と酒を飲み干し、その日は遅くまで宴が続いた。




 バアルの居城は、てっぺんが小さく見えるほど高い石垣の上に建てられており、またその広さも桁違いで、端から端まで歩くのに数時間を要すると言うから尋常ではない。シュートとその手下達は、魔界で乗り物として使われている巨大な怪鳥の背に乗り、闇に紛れてバアルの城へと近付いていた。魔界の空は常に厚い雲で覆われ、昼間でも弱い光しか差し込まない。夜になれば雲は晴れるが、空に星は輝かず、闇夜ばかりが続く。そんな暗闇の中にあって、バアルの居城は遙か遠くからでも肉眼で見えるほど、煌々と明るく輝いていた。

「けっ、これ見よがしに光らせやがって。おい、本当にバアルの野郎は留守なんだろうな?」

 怪鳥の背に跨ったシュートが、隣を飛ぶ部下を見ながらもう一度確認する。

「城に出入りしてる奴から買った情報だから、間違いねえって。しかし近付いてみるとすげえな……あの明かりだけで、一体どれだけの魔力を使ってんのか想像もつかねえ」

 魔界の風景や建造物は、人間界で言えば中世のそれに近い。都市には木造やレンガ造りの古風な建物が並び、貴族と呼ばれる権力者の住処でさえ、自動車や電気で動く機械といったものは、一部の例外を除いてほとんど見られない。良くも悪くも「魔界」としてのイメージ通りな世界である。しかし、彼らの文明が人間界より遅れているというわけではなく、人間が電気や機械に頼る事を、メトゥスは全て魔力で行えるため、機械文明を発達させる必要がなかったというだけである。代わりに魔界では魔力を利用した道具が普及しており、人間界とは違う形で繁栄を遂げていた。照明も電気ではなく、魔力を炎や光に代えたものが使われているのだが、バアルの城に灯された明かりはとても数え切れないほどで、この城ひとつで小さな都市のそれに匹敵するものであった。

「――さて、そろそろ予定の地点だ。テメーら準備はいいな!」
「おうっ!」

 サーチライトの光をかいくぐりながら、シュートと十人の手下達は、最も警備が手薄で、尚かつ宝物庫に一番近い地点に近付くと、次々に城内へと降り立った。怪鳥は上空で待機させ、合図をすれば自分たちを拾いに来るよう命令してある。シュートが指先でサインを送って走り出すと、部下達も彼に続いて走り出す。風のような速さで屋根の上を駆け抜け、一直線に宝物庫を目指す彼らだったが、あと少しで宝物庫という所で、突然四方から眩い光に照らし出された。

「止まれい貴様ら! まんまと忍び込んだつもりであろうが、当てが外れたな! ここがどこだか知っていようがいまいが……生きては返さんぞ!」

 その言葉が聞こえたと思った時には、バアルの城を守る警備兵に周囲を取り囲まれてしまっていた。警備兵はいずれも金属の鎧で身を固め、剣や槍、弓などで武装しており、数はざっと見て三十人といった所である。警備隊の隊長らしき厳つい男が一歩前に出ると、良く通る声を張り上げ、シュートを指差して言う。

「その目立つ赤い服装、最近ハンニバル各地を荒らしているという、悪名高き盗賊シュートだな。恐れ多くもバアル様の居城に丸腰で忍び込むとは、まさしく狂気の沙汰。もっとも、貴様のような狂人でなければ、こんな真似は出来まいが。大人しく投降すれば、せめて苦しまぬよう処刑してやろうではないか」

 手下たちはナイフやショートソードといった武器を持っているが、シュート本人は両手どころか、腰にも背中にも武器らしい物を身に付けていない。その言葉を聞き流しながら、シュートは素早い視線で警備兵を見回し、手練れの使い手が数人ほど混じっているのを見抜いていた。

(なるほど、さすがに甘くはねえってワケか。ま、この程度なら俺の敵じゃねーが、手下どもじゃ手を焼く相手かもな)

 シュートは仲間に短く目をやった後、肩をすくめてため息をつくと、ゆっくり両手を挙げる仕草をしながら返事をした。

「ちっ、やっぱりバレてたか。仕方ねえな……すっかり袋のネズミだし、ここは潔く――」

 彼の両手が耳元に近付いた時、素早くイヤリングを引いて外す。するとイヤリングはそのままの形で瞬時に大きくなり、半円の縁に刃を備えた、四十センチほどの武器となった。シュートがそれを頭上で重ね合わせると、ひとつに合わさってリングのような形状となり、それを警備兵めがけて投げつけた。

「これでも食らいな、マヌケども!」
「なっ、なにっ!?」

 リング状の刃は高速回転しながら飛び、虚を突かれた数人の警備兵を切り裂くと、ブーメランのように弧を描く軌道で、シュートの手元に戻っていく。

「飛刀、闇月――こいつが俺の相棒さ。相手が丸腰かどうか、よーく確かめてから物を言った方がいいぜ」

 包囲に穴が空いた隙を見逃さず、シュートと手下達は手近な警備兵を斬り伏せながら、一気に宝物庫めがけて走り出した。目の前には五十メートルほどの一本橋があり、橋を渡った先に宝物庫の入り口がある。

「逃がすな、追え! 絶対に奴らを宝物庫に近付けさせるな!」

 シュート達の背後から、一ヶ所に集まった警備兵の集団が迫っていた。射掛けられた矢の雨をかいくぐりながら橋の中央に差し掛かった時、シュートは突然立ち止まり、仲間を先に行かせて追っ手と向かい合う。

「さーて、ここからはお楽しみの時間だ。死にてえ奴から前に出な」

 シュートは凍り付くような目つきをし、殺気を滲ませた低い声で警備兵を挑発する。その迫力に警備兵達は足を止めてたじろぐが、シュートが手練れと踏んだ数人が、剣を振りかざして矢のように飛び掛かった。彼らの動きには無駄が無く、全て死角から迫るよう計算された攻撃だった。いかに体術に優れていようと、一人でそれを受け切るのは到底不可能――誰の目にも結果は明らかだと思われた刹那、シュートの両眼が真っ赤な輝きを放つ。すると突然、大きな炎の壁が目の前に出現し、襲いかかる警備兵達を呑み込んだ。

「ぎゃあああああっ!?」

 炎に包まれた警備兵は瞬く間に黒焦げとなり、物言わぬ塊となって地面に転がった。この一瞬の攻防で、互いの実力差を計るには充分すぎる程であった。

「な、なんという奴だ……たかが盗賊風情が、これほどの魔力を持っているなど……ッ!」
「雑魚がいくら束になっても、俺には勝てねえぜ。遠慮せずに全力で来いよ。盗賊シュート様の実力、骨身に染みるまで味わわせてやるからよ」
「くっ……皆の者、一斉にかかれ! なんとしてもここで奴を仕留めるのだ! 万が一の事があれば、あの御方の――!」

 隊長が言い終わらぬうちに、警備兵達は雪崩を打ってシュートに襲いかかる。シュートは風のように素早い身のこなしで刃をかいくぐりながら、リング状になっていた闇月を半分に分け、両手に構えて次々に警備兵達を斬り倒してゆく。しかし彼らは、目の前で仲間が倒されてなお、まったく攻撃の手を緩めようとはせず、執拗に食い下がってくる。警備兵としての使命よりもっと別の、何かの強い感情が彼らの表情には浮かび上がっている。

(なんだってんだこいつら、まるでヤケクソじゃねえか。チッ、気持ち悪い連中だぜ)

 結局、警備兵達は最後の一人に至るまでシュートに挑みかかり、そして彼の刃の前に倒れた。

「む、無念……バアル様……」

 最後の言葉を呟いて事切れた隊長を一瞥し、シュートは返り血を浴びた頬を拭い、部下の後を追って宝物庫へと駆けていく。




 高さが五メートルほどもある宝物庫の扉は開かれ、すでにシュートの手下達が宝物庫の中に入り込んで、財宝を物色している所だった。宝物庫は向こう側の壁が見えないほど広く、ありとあらゆる財宝が飾られていたが、それ以上に彼らの目を惹いたのは、滅多に手に入れることが出来ない貴重な道具が、数え切れないほど並べられている事だった。持ち主の魔力を数倍に増幅させる宝玉や、先端から業火を噴き出す竜の杖、雷の魔力を帯びた三叉矛に、相手を魅了して操る音色を奏でるリュート――いずれも町がまるごと買えるような価値のあるものばかりである。無論、それらは強い魔力によって厳重に封印されており、全てを手に入れている余裕はないが、どれかひとつでも持ち帰ることが出来れば、貴族を名乗る事も夢物語ではない。

「急げテメーら! モタモタしてると次の追っ手が湧いてきやがるぞ!」

 シュートはひとまず手近な杖に狙いを決め、ありったけの魔力を込めて封印を破りにかかった。ところが封印は想像以上に強力で、シュートを含め全員の魔力を加えても、綻びさえ生じない有様だった。

「くそっ、なんて頑丈な封印してやがる! せっかくここまで来れたってのに、最後の最後で――!」

 シュートが忌々しげに吐き捨てたその時、彼らの背後で誰かが言った。

「なにやら城が騒がしいというので見に来たのだが……妙だな。いくら思い出してみても、お前たちのような使用人を雇った記憶はないのだが」

 落ち着きのある、ともすれば歌声にも思えるような声であった。驚いたシュート達が一斉にその場から飛び退いて身構えると、いつの間にか彼らのすぐ近くに、法衣のような衣服を纏った長身の人物が立っていた。ウェーブのかかった長い黒髪に、美しく整った顔立ちをした男だった。彼は武器を手に殺気立つシュート達を、不思議な物でも見るような目つきで平然と眺めている。

「だっ、誰だ!? いつからそこに居やがった!?」

 シュートは殺気を剥き出したまま叫ぶが、男はまるで動じない様子で小首を傾げる。

「それは私が言う言葉だと思うのだが、はて……」
「なっ、なんだと!? ま、まさかお前……ッ!」
「我が名はバアル……この城の主にして、魔界を統べる一柱である」
(ぐっ……こいつがバアル……どうしてこんなに早く……!)

 身構えながら、シュートは全身の震えが止まらなかった。魔力も殺気もほとんど発していない。にもかかわらず、目の前に立つバアルからは、底知れぬ威圧感を感じるのである。今まで数多くの修羅場をくぐり抜けてきたシュートの勘は、全力で危険を告げていた。

「お前の名はなんというのだ?」

 尋ねられて適当に誤魔化そうとも思ったが、バアルの切れ長の瞳は、心の奥まで見透かすような深い色に染まっており、とても嘘をつく気になれない。

「……シュートだ。シュート・アンブロシア。それが俺の名前だ」
「そんな名前の客を呼んだ覚えはないな。ということは……お前たちは盗人で、ここに無断で立ち入り、宝を持ち去ろうとしていたのか」

 図星を突かれ、シュートの心臓は鼓動がはっきり聞こえるほどに激しく脈打った。生涯で初めて、全力でこの場から逃げ出したいとさえ思ったが、ヘビに睨まれたカエルのように動けないのである。バアルは顎に手を当て、わずかに口の端を持ち上げて言った。

「もう数百年、いや数千年か……お前たちのような輩に出会っていないのでな。状況を理解するのに少し時間がかかってしまった。正気というものがあれば、私の城へ盗みに入ろうなどとは考えもしないだろうが、それを実行に移すとは面白い奴。その度胸に免じ、ひとつチャンスをやろう」

 バアルは人差し指を立て、シュートと手下をそれぞれ見ながら続ける。

「これより私は手も足も使わず、ここから一歩も動かない。もしお前たちが指一本でも私に触れることが出来れば、ここで出会ったことは忘れ、ついでに好きな宝をひとつくれてやろう」

 思いがけない提案だった。自分の居城、しかも宝物庫に進入したシュート達に対して、バアルは怒るどころか興味さえ抱いているような雰囲気である。本気を出すような気配も今のところなく、上手くやればこの場を切り抜けられるかもしれないという希望が湧いてきた。

「いいぜ、やってやろうじゃねえか。これでも素早さには自信があるんだぜ。せいぜい後悔しないように気をつけるんだな!」
「では、私が三つ数えたら始めるとしよう。一、二、――」

 バアルが最後の数字を口にするより早く、シュートと手下達がバアルめがけて一斉に飛び掛かった刹那にそれは起こった。

「――!?」

 バアルが彼らをひと睨みすると、想像を絶する魔力が解き放たれた。手下たちは全員が一瞬にして蒸発、塵も残さず消滅してしまった。シュートは辛うじて消滅を免れたが、桁違いの魔力に弾き飛ばされ、宝物庫の壁に激突してめり込んだ。

「が……は……っ!」

 バアルは音もなくシュートの目の前に現れ、少し困ったように言った。

「すまんな。出来るだけ力を抑えたつもりだが、極端に小さな力を扱うのは加減が難しくてな。まあいずれにせよ、これではゲームが続けられんな。私の勝ちということでいいかね?」

 全身がバラバラに砕けたような感覚の中で、シュートは理解していた。バアルにとって彼らの存在など、吹けば飛ぶ程度の存在でしかないという事を。

「ち……くしょう……」
「ふむ」

 バアルは息も絶え絶えになったシュートを、興味深そうに眺めつつ考え込む。

「な、なにしてやがる……は、早く……殺しやがれ……」
「加減したとはいえ、私の魔力に耐えるくらいの頑丈さはある。おまけに活きもいい。これなら代わりになるかもしれん」

 バアルは一人で頷くと、おもむろに指を鳴らす。するとシュートの肉体は一瞬で回復し、身体の自由が利くようになった。

「なっ……い、一体どういうつもりだ!?」
「ひとつ提案があってな。シュートとやら、お前はMORS(モルス)という組織を知っているな?」
「あ、ああ、聞いた事はあるぜ。人間界で魂の密猟者を始末する連中の事だろ?」
「その通りだ。我々メトゥスにとって、人間の魂は最も重要な力の源。かつて人間の魂を巡って神族と魔族が争った結果、地上が崩壊しかける事態を招いてしまった。地上が消滅して人間がいなくなれば、我々の存亡にも関わってくる。それゆえ人間界における魂の扱いに関しては、天界と魔界の両最高指導部において協定を結び、厳格なルールによって管理される事が決められた。だが一部に、このルールに従わず、許可無く人間界に潜り込んでは、生きた人間の魂を喰らう者がいる。それらを取り締まるのがMORSというわけだ」
「なるほどな。で、それが何だってんだ?」
「これからお前にはMORSとして働いてもらう。つい最近、メンバーの一人が殉職して欠員が出てしまってな。先だっての会議もその報告を受けて、後釜を誰にするかを話し合っていたのだ」
「はあ? ふざけんな、どうして俺がそんな面倒くせえ仕事を――!」

 シュートが顔を引きつらせて後ずさると、すかさずバアルは凄まじい威圧感で彼に迫る。

「シュート・アンブロシアよ。これはお前にとっても悪い話ではあるまい? 今ここで消し飛んだ連中の後を追うか、MORSとして生きていくか、好きな方を選ぶがよかろう。どちらをも拒むというのなら、あくまでも『力』をもって主張するのだな」
「……天地がひっくり返ったって勝ち目なんか出てこねーよ。大体なに考えてるんだテメ……いやアンタは。俺は城を荒らしに来た盗賊なんだぞ」
「私は能力のある者なら、出自に関わらず認める主義だ。それとも手下を殺した私の下では働きたくないか?」
「まさか。アイツらが死んだのは弱かったからだ。弱い奴は死んで当然。それが魔界の掟じゃねーか」
「良い返事だ。では君の働きに期待しているよ」

 わずかに笑みを浮かべながら、バアルは音もなく姿を消す。こうしてシュートは思わぬ事から、人間界で密猟者と戦うMORSのメンバーとして働く事になるのだった。




 人間界――MORS極東支部。バアルとの邂逅から数日後、人間界に到着したシュートは、ニッポンの首都トーキョーに建つビルの一室に案内されていた。人間界で目立たないよう、人間界の服装に改められた。部屋の両側には資料のファイルがぎっしり詰まった本棚が並び、中央には大きなデスクがひとつ置かれている。そしてトーキョーの街並みが一望できる大きなガラス窓を背に、純白のスーツを着た金髪の男がシュートを出迎えていた。

「ようこそ、シュート・アンブロシア。私が極東支部長のザラークだ。今日から君はMORSの一員として、私の下で働いてもらう。任務の詳しい説明は後でするとして、まずは君に渡す物がある」

 そう言ってザラークは、シュートの顔写真が付いたカードを手渡した。

「それはMORSの身分証だ。大切に持っていたまえ。MORSの活動を行う際、様々な場面でそれが必要になる」

 シュートは受け取ったカードをまじまじと見つめるが、名前らしき部分に「安侮愁人」と記載されているのを見つけて眉をひそめる。

「なんだこりゃ、誰の名前だ?」
「無論、君だ。我々の正体は決して人間に知られてはならない。人間の社会に溶け込むために、名前を彼らの言語に改めておいた。人間界にいるうちは、安侮愁人を名乗って活動するように」
「ふぅん、安侮愁人ねえ……」
「私の話は以上だ。任務があれば、連絡員から君に通達が行く。これからの活躍を期待しているよ」
「へいへい。了解しましたよ、支部長殿」

 適当な挨拶をして支部長室を後にしたシュートは、身分証を眺めながらビルの出口を目指していたが、エントランスに差しかかった所で、見覚えのある人物の後ろ姿を見つけて足を止めた。彼は黒いスーツ姿で、青味がかった黒髪を肩くらいまで伸ばし、安侮よりわずかに背の低い細身の男である。

「お前、ダルクか?」

 呼ばれて振り返った男は、女性と間違えるほど綺麗な顔立ちをしていた。彼はシュートを見て驚いた表情を浮かべたが、すぐに穏やかな笑顔で答えた。

「ここでの名前は闇乃だよ。君と会うのは武器を作ってあげて以来だね。久しぶりだなあ」

 闇乃はシュートの肩をポンポンと叩き、嬉しそうに言う。

「長いこと魔界でツラを見ねえと思ったら、こんな所にいやがったのか。お前もMORSだったとはな」
「これからは同僚だ。よろしく頼むよシュート……いや、これからは安侮愁人だったね」
「ああ。MORSの仕事がどんなもんか、せいぜい退屈しないよう祈ってるぜ。あ、そうだダルク……じゃなかった闇乃、ヒマなら人間界の面白いトコでも案内しろよ」
「はは、そういう所も相変わらずだね。それじゃあ美味しい食事を出す店にでも行ってみようか――」

 こうしてMORSの一員、安侮愁人は誕生した。その後、彼の元には様々な事件が舞い込む事になるのだが、それはまた別の話である――。










 イメージイラスト提供:LIN様